Erroll Garner / エロール・ガーナー

Erroll Garner / エロール・ガーナー
Biography

エロル・ルイ・ガーナー(Erroll Louis Garner , 1921年6月15日-1977年1月2日)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のジャズピアニストで作曲家。エロール・ガーナーとも。兄のリントン・ガーナー(Linton Garner 1915年-2003年)もまたジャズピアニストであった。

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彼の独創的で、美しい旋律を生み出す演奏技法は多くの観衆や同僚のジャズミュージシャンから称賛を浴びた。生涯楽譜が全く読めず、また左利きであった。左利きであったことで演奏においては左手が強烈なビート(リズム)を刻むことができたが、右手のメロディが若干遅れて出ていた。しかし、そのことが彼独自の雰囲気やスウィング感を醸し出すことに繋がった。次第にその演出は 「ビハインド・ザ・ビート」と呼ばれることとなり、彼のトリッキーなサウンドの代名詞ともいえるようになった。

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Erroll Garner / エロール・ガーナーの生い立ち

エロル・ガーナーは1921年にペンシルベニア州のピッツバーグで生まれ、音楽好きの両親の影響で3歳よりピアノを弾き始める。

1944年にニューヨークに渡り、1947年には当時全盛を誇ったサクソフォーン奏者チャーリー・パーカーとの共演を果たしている。
1954年には「ミスティ」(Misty)を発表。評判になる。後に作詞家のジョニー・バーク (Johnny Burke) により歌詞がつけられ、1959年にジョニー・マティスによって歌われ大ヒット。その後も何人もの歌手によってカバーされるなど、ジャズのバラードにおけるスタンダードナンバーとなるほどの大成功をおさめた。
翌1955年にはカリフォルニア州カーメルでのライブを音源としたアルバム、「コンサート・バイ・ザ・シー(Concert by the Sea)」や「コントラスツ(Contrasts)」を発表。大ヒットを記録。エロール・ガーナーの才能が証明されるとともに、後世のジャズピアニストにも影響を与える作品となった。
彼は世界的に名声を得て各国の都市で演奏を披露するとともに、多大な作品を創作し続けた。
1977年1月2日55歳で死去。